貝合わせ 貝覆い とも藤

ブログ
Blog

カテゴリ:洲浜會

下御霊神社 奉納劇 終了しました。

2023.10.23  ブログ, 洲浜會  , ,

昭和きもの愛好会にて

2020.7.13  ブログ, 洲浜會  , , , ,

「常夏」の撫子、玉鬘 〜7月7日の瞿麦(なでしこ)合わせ〜

2020.7.1  コラム, 洲浜會  , , , , , , ,


「常夏」の撫子、玉鬘
~7月7日の瞿麦(なでしこ)合わせ~

貝合わせ貝覆いとも藤
佐藤朋子

 984年7月7日、藤原道長の姉、藤原詮子(ふじわらせんし)主催の「なでしこ合わせ」が執り行わました。


 おおまかに洲浜を紹介しましょう。
 洲浜は左右2基づつ、左第1の洲浜には小さな垣根に撫子2株を植え、鶴が立っている盆景で歌を3つつけたもの。左第2の洲浜には、瑠璃の壷に撫子の花を指し、虫かごが置いてあって歌をこちらも3つ添えています。洲浜の撫子は金銀などで製作された造り花。歌の内容は七夕、織姫牽牛や撫子の美しさを歌ったもの。


 洲浜をつくり、歌合わせをするのは、当時流行の貴族たちの遊びであり、撫子の他に様々な「合わせもの、物合わせ」があります。現代の人々は七夕と言えば笹飾りがメインで、乞巧奠を模した飾りをする人も梶の葉を盥に浮かべるくらいです。撫子はそもそも秋の七草ですから、七夕に花の印象、ましてや撫子が七夕の花であると思う人はほとんどいません。
 
 これは現代のカレンダーが新暦によるもので、旧暦と新暦の暦のずれがこのような事態を招いています。


 源氏物語で撫子といえば第二十六帖「常夏」に登場する玉鬘です。玉鬘の母は「夕顔」。「夕顔」の娘が「撫子=玉鬘」。「夕顔」と「撫子」の母娘なんて美しいですね。物語では母、夕顔が撫子の花に手紙を添えて玉鬘の父親である頭中将に「娘に情けをかけてください」と訴えていますし、玉鬘の六条院の住まいには撫子が咲き乱れています。


 8月生まれの私は源氏物語で一番始めに好きになったのは「夕顔」でした。夏の儚い花をイメージする姫君は身体の弱かった小学生の自分とどこか重なるような気がして、自分には不幸な恋愛しか起こらないんじゃないか、とヒロイックな妄想に浸っていたものです。一方、娘の玉鬘の印象は私のなかでは「しっかりしてるひと」その美しさは夕顔ゆずりでも中身はしっかりとして「生き抜く」イメージ。光源氏からは「撫でたくなるほど可愛い子」と言われて大切にされましたが、実際の玉鬘は堅実な結婚を選びます。


 江戸時代、七夕の夜には「貝覆い」をしたと御所に仕える女官達によって書き継がれた日記「御湯殿上日記」には書かれています。おそらくその際に遊ばれていた「貝覆い」には源氏物語絵が描かれていたでしょう。七夕の夜は「玉鬘」を採った人が勝ちなんてルールがあったかもしれないと、撫子の無い七夕飾りを設えながら思いを馳せています。


*なでしこ(瞿麦、くばくともよむ、石竹とも=いずれも撫子のこと)
 

昭和の婚礼〜母と叔母の結婚〜

2020.6.28  コラム, 洲浜會  , , ,

斎王良子内親王「斎王貝合日記」

2020.5.20  洲浜會  , , , , ,

平安時代、貝合わせは珍しい貝を持ち寄り和歌をつけてその優劣を競う遊びでした。斎王良子内親王の「斎王貝合日記」(1040年)には貝合わせについての記述があります。
 公式な行事として貝合わせの記述が有るのは、1162年、二条院の后、藤原育子(父、藤原忠通)の立后の後に催された貝合わせです。天皇家、摂関家が後見となって開催されました。物語では『堤中納言物語』に貝合わせの詳しい様子が書かれています。こちらは読みやすい現代語訳もありますので、興味のある方は是非読んでみてください。

平安時代末期には「今様」「物合」という遊びが流行しており、貝合わせも「物合」の一つとしてさかんに遊ばれていました。

 さて、貝覆いについても記述が残っています。当時は主に宮中で遊ばれていた貝覆いですが、私は先にあげた藤原育子と同時代に生きていた後白河院寵姫、平滋子に注目しています。

 平安時代の歌人、藤原俊成の娘、建春門院中納言は平滋子に仕えていました。「たまきはる」という自身の日記の中で、貝覆いや貝桶についての記述があります。

 江戸時代の有職故実の学者、伊勢貞丈は「二見の浦」にて六条院高倉院の頃に始まったのではないかと書いています。六条院高倉院の時代は、平清盛や後白河法皇の世でありますので建春門院平滋子などは、おそらく貝覆いで遊んでいたことでしょう。

 当時に思いをはせますと、私どもで実際に貝覆いを製作してみると、ゲームが面白く出来るくらいに柄や形、大きさを揃えようとすると貝殻の数はゲームで使用する数の3倍は必要になります。ですので、当初から360個の貝殻で貝覆いをしていたわけではないと思われます。

 藤原摂関家の衰退、そして平清盛、平氏の世になり鎌倉時代へと時代が移り変わる中で、物合わせとしての貝合わせは記述がなくなってゆき、貝覆いの記述が増えてゆきます。
 『とりかへばや物語』や『源平盛衰記』には貝覆いについての記述があり、鎌倉時代の記述には出貝、地貝に分け、円形にならべて相方を捜す貝覆いが遊ばれていたことがうかがえます。

 その後、貝覆いは「歌かるた」のもとになったともいわれていますし、豪華な貝桶や360個の貝殻に源氏物語絵巻などを描いて婚礼道具にしたのは、室町時代頃からのようです。

 貝合わせ貝覆いというと平安時代というイメージがありますが、実は平安時代以降も長く遊ばれてきたものです。いつの頃からか、貝合わせと貝覆いは混同されるようになりました。貝覆いでも貝を合わして遊ぶのですから、貝覆いを貝合わせといっても特に差し支えはないように思いますが、未来において平安時代の和歌を詠んだ貝合わせのことを貝覆いだと勘違いされる可能性もありますから、貝合わせと貝覆いが別の遊びであることを私どもではお伝えするようにしています。

 五節句の上巳(雛祭)ではもちろんのこと、七夕にも「七遊」として、「歌」「鞠」「碁」「花札」「貝合」「楊弓」「香」が遊ばれていたとも言われています。明治6年(1873年)の改暦の際に当時の政府は式日としての五節句を廃止しました。太陽暦となったことから、本来の五節句の季節と暦の日にちがずれてしまい、五節句が次第に親しまれなくなったのも、貝合わせ遊びをしなくなった原因の一つかもしれません。 
 
貝合わせ貝覆い とも藤
佐藤朋子

洲浜會

2020.5.18  洲浜會 

歌合、物合と貝合考
春日大社若宮社に残る木製磯型

 貝合わせという遊びは、斎王良子内親王の「斎王貝合日記」(1040年5月6日)に記載されている物が一番古いとされます。

 平安時代、貝合わせは珍しい貝を持ち寄り飾り物(洲浜)を作り、和歌を詠んで、洲浜の出来映えや、貝の優劣、和歌の善し悪しで勝敗を決める遊びでした。
 斎王良子内親王の貝合わせでは貝合わせにおける洲浜の様子が記述に詳しく残されています。
 洲浜とは、吉祥の雰囲気をその場に作りだす、飾り物、作り物の一種です。洲浜の他には祇園祭の山や鉾の原型となった「標の山」という飾り物、作り物があります。洲浜は歌合わせや貝合わせで用いられ、吉祥の要素を取り入れた鶴や松、蓬莱山など荘厳に飾り付け、ジオラマのように造られていました。斎王良子内親王の貝合わせでは左方、右方に分かれ、それぞれ三基づつの洲浜が造られました。右方の3つの洲浜のなかに大蛤を題材にした洲浜があり、貝合わせでも蛤を用いていたことがわかります。

 公式な行事として貝合わせの記述が有るのは、1162年、二条院の后、藤原育子(父、藤原忠通)の立后の後に催された歌合、貝合わせです。天皇家、摂関家が後見となって開催されました。
 藤原忠通は1135年に、春日若宮社神殿を今の場所に造営しました。

 春日大社若宮社の御神宝のなかには歌合、斎王良子内親王の貝合わせの洲浜を連想させる興味深いものがあります。「国宝 若宮御料古神宝類 木造彩色磯型残欠」です。

 若宮社の御神宝にはこの木造の磯型以外にも鶴や木をかたどったもの、洲浜形には釘あとも残っており、当時の歌合に用いられたものと考えられています。

 春日大社には、おん祭に先立って行なわれる「装束賜り」の威儀物用いられる調度品として「千切台」や「盃台」が今に伝わっております。こういった調度品は、現代の結納飾り「島台」につながっており、日本人ならではの和様が表現されたこれからも残してゆきたい文化です。

 平安時代に遊ばれた貝合わせは、同時代に遊ばれていた蛤の遊びである貝覆いの遊びの呼び名として今では一般的になっています。しかし、本来の和歌を詠んで遊ぶ歌合わせとして「貝合」の様子にルーツを持つものが、現代に「島台」として婚礼道具となっているのは大変興味深いことです。
 
 貝覆いの遊びは、蛤の貝殻を納める貝桶、そして彩色された貝覆いが婚礼道具として、特に江戸時代には重要なものでした。しかし現代の婚礼では、婚礼のために貝桶と貝覆いを仕立てる人はほとんどいません。着物の文様として、貝桶や蛤が残っているのみです。一方結納飾りとしての島台は現代でもつくられ、使われています。

 私は「島台」には、平安時代からの日本人の美意識が詰まっているように思います。その元となる「洲浜」は、日本の身近な風景を縁起の良い飾り物として造形したのが始まりでした。春日大社若宮社に残る木製磯型を見ると、平安時代末期の藤原氏の人々を息遣いを感じずにはいられません。歌合は時に権勢を表すものとして行われました。磯型などを奉納することで、歌合の盛会と自らの一族の繁栄を願っていたのかもしれません。

  • TOP
  • ブログ
貝合わせ遊び
出張体験会

様々なイベントに、貝合わせ遊びをお持ちします

蛤貝殻の販売
について

商品に関するお問い合わせ、蛤貝殻の販売はこちら