2020年07月の投稿
昭和きもの愛好会様からのご依頼で日本の婚礼文化についてお話しさせていただきました。
洲浜や島台については、洲浜會として私1人の学びの場でしたが、思わぬ形で、お話しする機会をいただきました。
私の活動の中でも貝合わせに隣接しているという意味で始めた傍の学びですが、今回、さらに結納について学ぶ良い機会になりました。
また後日、YouTubeでご覧いただけます。
来週水曜日より、大丸心斎橋店にて佐藤潤絵画展が開催されます。
佐藤潤は、とも藤の貝合わせの彩色をしています。
会場に貝合わせは出展されておりませんが、貝合わせに描かれているのと同じテーマの、作品も出展されます。
また、写真撮影スポットもございますので、是非お立ち寄りください。
また私の在廊中、会場ではインスタライブを予定しています。
私の在廊予定は画像をご覧ください。
お会い出来ますのを楽しみにしております
とも藤 佐藤朋子による七夕飾りの解説です。貝合わせや貝覆い、蹴鞠についてもお話ししています。

「常夏」の撫子、玉鬘
~7月7日の瞿麦(なでしこ)合わせ~
貝合わせ貝覆いとも藤
佐藤朋子
984年7月7日、藤原道長の姉、藤原詮子(ふじわらせんし)主催の「なでしこ合わせ」が執り行わました。
おおまかに洲浜を紹介しましょう。
洲浜は左右2基づつ、左第1の洲浜には小さな垣根に撫子2株を植え、鶴が立っている盆景で歌を3つつけたもの。左第2の洲浜には、瑠璃の壷に撫子の花を指し、虫かごが置いてあって歌をこちらも3つ添えています。洲浜の撫子は金銀などで製作された造り花。歌の内容は七夕、織姫牽牛や撫子の美しさを歌ったもの。
洲浜をつくり、歌合わせをするのは、当時流行の貴族たちの遊びであり、撫子の他に様々な「合わせもの、物合わせ」があります。現代の人々は七夕と言えば笹飾りがメインで、乞巧奠を模した飾りをする人も梶の葉を盥に浮かべるくらいです。撫子はそもそも秋の七草ですから、七夕に花の印象、ましてや撫子が七夕の花であると思う人はほとんどいません。
これは現代のカレンダーが新暦によるもので、旧暦と新暦の暦のずれがこのような事態を招いています。
源氏物語で撫子といえば第二十六帖「常夏」に登場する玉鬘です。玉鬘の母は「夕顔」。「夕顔」の娘が「撫子=玉鬘」。「夕顔」と「撫子」の母娘なんて美しいですね。物語では母、夕顔が撫子の花に手紙を添えて玉鬘の父親である頭中将に「娘に情けをかけてください」と訴えていますし、玉鬘の六条院の住まいには撫子が咲き乱れています。
8月生まれの私は源氏物語で一番始めに好きになったのは「夕顔」でした。夏の儚い花をイメージする姫君は身体の弱かった小学生の自分とどこか重なるような気がして、自分には不幸な恋愛しか起こらないんじゃないか、とヒロイックな妄想に浸っていたものです。一方、娘の玉鬘の印象は私のなかでは「しっかりしてるひと」その美しさは夕顔ゆずりでも中身はしっかりとして「生き抜く」イメージ。光源氏からは「撫でたくなるほど可愛い子」と言われて大切にされましたが、実際の玉鬘は堅実な結婚を選びます。
江戸時代、七夕の夜には「貝覆い」をしたと御所に仕える女官達によって書き継がれた日記「御湯殿上日記」には書かれています。おそらくその際に遊ばれていた「貝覆い」には源氏物語絵が描かれていたでしょう。七夕の夜は「玉鬘」を採った人が勝ちなんてルールがあったかもしれないと、撫子の無い七夕飾りを設えながら思いを馳せています。
*なでしこ(瞿麦、くばくともよむ、石竹とも=いずれも撫子のこと)