貝合わせ 貝覆い とも藤

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端午薬玉

2020.5.21  貝合わせ 端午 

貝合わせ 端午薬玉 大蛤
・桐箱、ミニ毛氈、保管用袋付き

貝殻の外側には薬玉、内側には座敷鯉と兜を描いています。
とも藤貝合用 蛤貝「月」を仕様

*とも藤の貝合わせは1点物です。
作品の価格は貝殻の大きさ、彩色によって変わります。
お問い合わせください。

斎王良子内親王「斎王貝合日記」

2020.5.20  洲浜會  , , , , ,

平安時代、貝合わせは珍しい貝を持ち寄り和歌をつけてその優劣を競う遊びでした。斎王良子内親王の「斎王貝合日記」(1040年)には貝合わせについての記述があります。
 公式な行事として貝合わせの記述が有るのは、1162年、二条院の后、藤原育子(父、藤原忠通)の立后の後に催された貝合わせです。天皇家、摂関家が後見となって開催されました。物語では『堤中納言物語』に貝合わせの詳しい様子が書かれています。こちらは読みやすい現代語訳もありますので、興味のある方は是非読んでみてください。

平安時代末期には「今様」「物合」という遊びが流行しており、貝合わせも「物合」の一つとしてさかんに遊ばれていました。

 さて、貝覆いについても記述が残っています。当時は主に宮中で遊ばれていた貝覆いですが、私は先にあげた藤原育子と同時代に生きていた後白河院寵姫、平滋子に注目しています。

 平安時代の歌人、藤原俊成の娘、建春門院中納言は平滋子に仕えていました。「たまきはる」という自身の日記の中で、貝覆いや貝桶についての記述があります。

 江戸時代の有職故実の学者、伊勢貞丈は「二見の浦」にて六条院高倉院の頃に始まったのではないかと書いています。六条院高倉院の時代は、平清盛や後白河法皇の世でありますので建春門院平滋子などは、おそらく貝覆いで遊んでいたことでしょう。

 当時に思いをはせますと、私どもで実際に貝覆いを製作してみると、ゲームが面白く出来るくらいに柄や形、大きさを揃えようとすると貝殻の数はゲームで使用する数の3倍は必要になります。ですので、当初から360個の貝殻で貝覆いをしていたわけではないと思われます。

 藤原摂関家の衰退、そして平清盛、平氏の世になり鎌倉時代へと時代が移り変わる中で、物合わせとしての貝合わせは記述がなくなってゆき、貝覆いの記述が増えてゆきます。
 『とりかへばや物語』や『源平盛衰記』には貝覆いについての記述があり、鎌倉時代の記述には出貝、地貝に分け、円形にならべて相方を捜す貝覆いが遊ばれていたことがうかがえます。

 その後、貝覆いは「歌かるた」のもとになったともいわれていますし、豪華な貝桶や360個の貝殻に源氏物語絵巻などを描いて婚礼道具にしたのは、室町時代頃からのようです。

 貝合わせ貝覆いというと平安時代というイメージがありますが、実は平安時代以降も長く遊ばれてきたものです。いつの頃からか、貝合わせと貝覆いは混同されるようになりました。貝覆いでも貝を合わして遊ぶのですから、貝覆いを貝合わせといっても特に差し支えはないように思いますが、未来において平安時代の和歌を詠んだ貝合わせのことを貝覆いだと勘違いされる可能性もありますから、貝合わせと貝覆いが別の遊びであることを私どもではお伝えするようにしています。

 五節句の上巳(雛祭)ではもちろんのこと、七夕にも「七遊」として、「歌」「鞠」「碁」「花札」「貝合」「楊弓」「香」が遊ばれていたとも言われています。明治6年(1873年)の改暦の際に当時の政府は式日としての五節句を廃止しました。太陽暦となったことから、本来の五節句の季節と暦の日にちがずれてしまい、五節句が次第に親しまれなくなったのも、貝合わせ遊びをしなくなった原因の一つかもしれません。 
 
貝合わせ貝覆い とも藤
佐藤朋子

耳盥と角盥 お姫様の日用品

2020.5.20  耳盥歳時記十二ヶ月  , , ,


耳盥と角盥 ~お姫様の日用品~

貝合わせ貝覆いとも藤
佐藤朋子

 耳盥という骨董品があります。漆器の盥でふちに耳のような取手が付いています。かつて、私たち日本人はお歯黒の習慣があり、耳盥はお歯黒の際に使われた盥です。一方、角盥の用途はもう少し広いようです。角盥も漆器の盥でふちに角が左右4本付いています。古の人々は着物や装束を着ていましたので袖が邪魔にならないようについていたとも、持ち運ぶ際に使っていたとも言われています。この角盥は絵巻などでは病の場面で良く見かけます。吐き戻したものをうける盥としてです。また出家の場面にも良く描かれています。髪を剃り落す際に角盥でうけています。
角盥は現代人の洗面器と似たような使い方です。
 人は時に様々なものに夢中になり収集するものですが、私の場合は耳盥と角盥がそのアイテムでした。いずれも骨董品ですから簡単に手に入りません。耳盥は3つ、角盥にいたってはまだ所有してもいません。しかし、私はこの情報化社会の中で「耳盥」と「角盥」の情報を収集しています。自分が何故この盥に魅了されているのかをもっと深く知りたいと思っています。
 「耳盥」について思いを馳せるとき、お歯黒について知らねばなりません。お歯黒とはまたの名を「鉄漿、かね」歯を黒く染めるもので、江戸時代まで日本の風習として根付いていました。実際に虫歯予防に有効であったそうです。今では信じられないことですが、大人の女性は皆、お歯黒をしていたのです。ですから耳盥も日々の日用品として使われており、婚礼道具の一つでした。
 「耳盥」も「角盥」も今では誰も日用品として使っていません。かつては日本人女性の誰もが使用していた日用品が消えてしまったことに、ホームシックのような強烈な寂しさを私は感じています。どうしてこんなにも寂しいのか、それは「耳盥」と「角盥」についてもっと知ってゆけばわかるのかもしれません。そして私の他にも同じようなことを感じている方がいるかもしれません。
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