貝合わせ 貝覆い とも藤

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カテゴリ:コラム

蛤と観月

2020.8.16  コラム, ブログ 

「常夏」の撫子、玉鬘 〜7月7日の瞿麦(なでしこ)合わせ〜

2020.7.1  コラム, 洲浜會  , , , , , , ,


「常夏」の撫子、玉鬘
~7月7日の瞿麦(なでしこ)合わせ~

貝合わせ貝覆いとも藤
佐藤朋子

 984年7月7日、藤原道長の姉、藤原詮子(ふじわらせんし)主催の「なでしこ合わせ」が執り行わました。


 おおまかに洲浜を紹介しましょう。
 洲浜は左右2基づつ、左第1の洲浜には小さな垣根に撫子2株を植え、鶴が立っている盆景で歌を3つつけたもの。左第2の洲浜には、瑠璃の壷に撫子の花を指し、虫かごが置いてあって歌をこちらも3つ添えています。洲浜の撫子は金銀などで製作された造り花。歌の内容は七夕、織姫牽牛や撫子の美しさを歌ったもの。


 洲浜をつくり、歌合わせをするのは、当時流行の貴族たちの遊びであり、撫子の他に様々な「合わせもの、物合わせ」があります。現代の人々は七夕と言えば笹飾りがメインで、乞巧奠を模した飾りをする人も梶の葉を盥に浮かべるくらいです。撫子はそもそも秋の七草ですから、七夕に花の印象、ましてや撫子が七夕の花であると思う人はほとんどいません。
 
 これは現代のカレンダーが新暦によるもので、旧暦と新暦の暦のずれがこのような事態を招いています。


 源氏物語で撫子といえば第二十六帖「常夏」に登場する玉鬘です。玉鬘の母は「夕顔」。「夕顔」の娘が「撫子=玉鬘」。「夕顔」と「撫子」の母娘なんて美しいですね。物語では母、夕顔が撫子の花に手紙を添えて玉鬘の父親である頭中将に「娘に情けをかけてください」と訴えていますし、玉鬘の六条院の住まいには撫子が咲き乱れています。


 8月生まれの私は源氏物語で一番始めに好きになったのは「夕顔」でした。夏の儚い花をイメージする姫君は身体の弱かった小学生の自分とどこか重なるような気がして、自分には不幸な恋愛しか起こらないんじゃないか、とヒロイックな妄想に浸っていたものです。一方、娘の玉鬘の印象は私のなかでは「しっかりしてるひと」その美しさは夕顔ゆずりでも中身はしっかりとして「生き抜く」イメージ。光源氏からは「撫でたくなるほど可愛い子」と言われて大切にされましたが、実際の玉鬘は堅実な結婚を選びます。


 江戸時代、七夕の夜には「貝覆い」をしたと御所に仕える女官達によって書き継がれた日記「御湯殿上日記」には書かれています。おそらくその際に遊ばれていた「貝覆い」には源氏物語絵が描かれていたでしょう。七夕の夜は「玉鬘」を採った人が勝ちなんてルールがあったかもしれないと、撫子の無い七夕飾りを設えながら思いを馳せています。


*なでしこ(瞿麦、くばくともよむ、石竹とも=いずれも撫子のこと)
 

昭和の婚礼〜母と叔母の結婚〜

2020.6.28  コラム, 洲浜會  , , ,

心游舎のfacebookにて

2020.5.20  コラム, 開催中・開催予定のイベント 

2020年5月 この度、彬子女王殿下が総裁を務めておられる一般社団法人「心游舎」様のfacebookにコラムを書かせて頂きました。

心游舎
https://shinyusha.or.jp/

海と蛤と私たち

貝合わせ貝覆いとも藤
佐藤朋子

こんにちは。私は蛤の貝殻を扱う仕事をしています。蛤の貝殻を仕入れて、表面にへばりついている殻皮という皮を剥がし、身と蓋をつなげている蝶番を外して、一つ一つサイズを計り、表面の色や柄別に木箱に仕舞います。棚には何千個も蛤の貝殻がありますよ。
 
 蛤の貝殻を買う人は絵画教室や書道教室などの先生や生徒の方、美術館や博物館の方もいます。皆さん「貝合わせ」という工芸品を創る為に買われるのです。

 もともと「貝合わせ」とは平安時代に貴族のお姫様達が遊ばれていた遊戯(あそび)です。古い時代には海で拾った貝殻を「洲浜」という磯や浜辺をかたどった物の上に置いて、海の景色をミニチュアで造り、その造った物に合わせた和歌を詠み合って遊んでおられました。平安時代の終わり頃から江戸時代までは蛤の貝殻を円形に並べて遊ぶ「貝覆い」という遊びもありました。長い年月の中でこの「貝覆い」という遊びともともとあった「貝合わせ」の名前が混ざって、今では「貝覆い」の遊びのことを「貝合わせ」と言っています。

 さて、蛤についてご紹介しましょう。蛤はあさりなどと同じ二枚貝。鉄分や亜鉛が豊富ですので貧血予防に効くと言われています。形はおにぎりに似た三角形。内側には人間の歯と同じように歯があります。この歯の部分はとても複雑に噛み合っているので、他の蛤の貝殻とは噛み合いません。このことから「縁結び」「良縁」「夫婦円満」といった縁起物として「貝合わせ」をお嫁入りに持って行くようになりました。「貝合わせ」は「貝桶」という六角形や八角形の形をした桶に入れて婚礼の日には大切に扱われました。

 残念なことに今では様々な理由から蛤の漁獲が減っています。縄文時代の貝塚からは多くの蛤が出土しており、古事記にも登場する蛤。海と蛤と私たち日本人の間に育まれた長い歴史が、どうぞこれからもずっと続いていきますように。
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