貝合わせ 貝覆い とも藤

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耳盥と角盥 お姫様の日用品

2020.5.20  耳盥歳時記十二ヶ月  , , ,


耳盥と角盥 ~お姫様の日用品~

貝合わせ貝覆いとも藤
佐藤朋子

 耳盥という骨董品があります。漆器の盥でふちに耳のような取手が付いています。かつて、私たち日本人はお歯黒の習慣があり、耳盥はお歯黒の際に使われた盥です。一方、角盥の用途はもう少し広いようです。角盥も漆器の盥でふちに角が左右4本付いています。古の人々は着物や装束を着ていましたので袖が邪魔にならないようについていたとも、持ち運ぶ際に使っていたとも言われています。この角盥は絵巻などでは病の場面で良く見かけます。吐き戻したものをうける盥としてです。また出家の場面にも良く描かれています。髪を剃り落す際に角盥でうけています。
角盥は現代人の洗面器と似たような使い方です。
 人は時に様々なものに夢中になり収集するものですが、私の場合は耳盥と角盥がそのアイテムでした。いずれも骨董品ですから簡単に手に入りません。耳盥は3つ、角盥にいたってはまだ所有してもいません。しかし、私はこの情報化社会の中で「耳盥」と「角盥」の情報を収集しています。自分が何故この盥に魅了されているのかをもっと深く知りたいと思っています。
 「耳盥」について思いを馳せるとき、お歯黒について知らねばなりません。お歯黒とはまたの名を「鉄漿、かね」歯を黒く染めるもので、江戸時代まで日本の風習として根付いていました。実際に虫歯予防に有効であったそうです。今では信じられないことですが、大人の女性は皆、お歯黒をしていたのです。ですから耳盥も日々の日用品として使われており、婚礼道具の一つでした。
 「耳盥」も「角盥」も今では誰も日用品として使っていません。かつては日本人女性の誰もが使用していた日用品が消えてしまったことに、ホームシックのような強烈な寂しさを私は感じています。どうしてこんなにも寂しいのか、それは「耳盥」と「角盥」についてもっと知ってゆけばわかるのかもしれません。そして私の他にも同じようなことを感じている方がいるかもしれません。

心游舎のfacebookにて

2020.5.20  コラム, 開催中・開催予定のイベント 

2020年5月 この度、彬子女王殿下が総裁を務めておられる一般社団法人「心游舎」様のfacebookにコラムを書かせて頂きました。

心游舎
https://shinyusha.or.jp/

海と蛤と私たち

貝合わせ貝覆いとも藤
佐藤朋子

こんにちは。私は蛤の貝殻を扱う仕事をしています。蛤の貝殻を仕入れて、表面にへばりついている殻皮という皮を剥がし、身と蓋をつなげている蝶番を外して、一つ一つサイズを計り、表面の色や柄別に木箱に仕舞います。棚には何千個も蛤の貝殻がありますよ。
 
 蛤の貝殻を買う人は絵画教室や書道教室などの先生や生徒の方、美術館や博物館の方もいます。皆さん「貝合わせ」という工芸品を創る為に買われるのです。

 もともと「貝合わせ」とは平安時代に貴族のお姫様達が遊ばれていた遊戯(あそび)です。古い時代には海で拾った貝殻を「洲浜」という磯や浜辺をかたどった物の上に置いて、海の景色をミニチュアで造り、その造った物に合わせた和歌を詠み合って遊んでおられました。平安時代の終わり頃から江戸時代までは蛤の貝殻を円形に並べて遊ぶ「貝覆い」という遊びもありました。長い年月の中でこの「貝覆い」という遊びともともとあった「貝合わせ」の名前が混ざって、今では「貝覆い」の遊びのことを「貝合わせ」と言っています。

 さて、蛤についてご紹介しましょう。蛤はあさりなどと同じ二枚貝。鉄分や亜鉛が豊富ですので貧血予防に効くと言われています。形はおにぎりに似た三角形。内側には人間の歯と同じように歯があります。この歯の部分はとても複雑に噛み合っているので、他の蛤の貝殻とは噛み合いません。このことから「縁結び」「良縁」「夫婦円満」といった縁起物として「貝合わせ」をお嫁入りに持って行くようになりました。「貝合わせ」は「貝桶」という六角形や八角形の形をした桶に入れて婚礼の日には大切に扱われました。

 残念なことに今では様々な理由から蛤の漁獲が減っています。縄文時代の貝塚からは多くの蛤が出土しており、古事記にも登場する蛤。海と蛤と私たち日本人の間に育まれた長い歴史が、どうぞこれからもずっと続いていきますように。

NHKワールド出演

2020.5.20  ブログ, 過去のイベント  , , , ,

  

2019年7月 NHKワールド、コアキョウトに出演しました。

本日7月4日はこちらのページより(NHK WORLD JAPAN live と検索)
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/live/

放送時間:
① 4日(木)朝8 時30 分~ 終了
② 4日(木)午後2 時半~
③ 4日(木)夜9 時半~
④ 5日(金)深夜2 時半~

明日、5日以降2週間はこちらのページより(NHK コアキョウト と検索)
https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/tv/corekyoto/

スマホか、パソコンでご覧になれます。

洲浜會

2020.5.18  洲浜會 

歌合、物合と貝合考
春日大社若宮社に残る木製磯型

 貝合わせという遊びは、斎王良子内親王の「斎王貝合日記」(1040年5月6日)に記載されている物が一番古いとされます。

 平安時代、貝合わせは珍しい貝を持ち寄り飾り物(洲浜)を作り、和歌を詠んで、洲浜の出来映えや、貝の優劣、和歌の善し悪しで勝敗を決める遊びでした。
 斎王良子内親王の貝合わせでは貝合わせにおける洲浜の様子が記述に詳しく残されています。
 洲浜とは、吉祥の雰囲気をその場に作りだす、飾り物、作り物の一種です。洲浜の他には祇園祭の山や鉾の原型となった「標の山」という飾り物、作り物があります。洲浜は歌合わせや貝合わせで用いられ、吉祥の要素を取り入れた鶴や松、蓬莱山など荘厳に飾り付け、ジオラマのように造られていました。斎王良子内親王の貝合わせでは左方、右方に分かれ、それぞれ三基づつの洲浜が造られました。右方の3つの洲浜のなかに大蛤を題材にした洲浜があり、貝合わせでも蛤を用いていたことがわかります。

 公式な行事として貝合わせの記述が有るのは、1162年、二条院の后、藤原育子(父、藤原忠通)の立后の後に催された歌合、貝合わせです。天皇家、摂関家が後見となって開催されました。
 藤原忠通は1135年に、春日若宮社神殿を今の場所に造営しました。

 春日大社若宮社の御神宝のなかには歌合、斎王良子内親王の貝合わせの洲浜を連想させる興味深いものがあります。「国宝 若宮御料古神宝類 木造彩色磯型残欠」です。

 若宮社の御神宝にはこの木造の磯型以外にも鶴や木をかたどったもの、洲浜形には釘あとも残っており、当時の歌合に用いられたものと考えられています。

 春日大社には、おん祭に先立って行なわれる「装束賜り」の威儀物用いられる調度品として「千切台」や「盃台」が今に伝わっております。こういった調度品は、現代の結納飾り「島台」につながっており、日本人ならではの和様が表現されたこれからも残してゆきたい文化です。

 平安時代に遊ばれた貝合わせは、同時代に遊ばれていた蛤の遊びである貝覆いの遊びの呼び名として今では一般的になっています。しかし、本来の和歌を詠んで遊ぶ歌合わせとして「貝合」の様子にルーツを持つものが、現代に「島台」として婚礼道具となっているのは大変興味深いことです。
 
 貝覆いの遊びは、蛤の貝殻を納める貝桶、そして彩色された貝覆いが婚礼道具として、特に江戸時代には重要なものでした。しかし現代の婚礼では、婚礼のために貝桶と貝覆いを仕立てる人はほとんどいません。着物の文様として、貝桶や蛤が残っているのみです。一方結納飾りとしての島台は現代でもつくられ、使われています。

 私は「島台」には、平安時代からの日本人の美意識が詰まっているように思います。その元となる「洲浜」は、日本の身近な風景を縁起の良い飾り物として造形したのが始まりでした。春日大社若宮社に残る木製磯型を見ると、平安時代末期の藤原氏の人々を息遣いを感じずにはいられません。歌合は時に権勢を表すものとして行われました。磯型などを奉納することで、歌合の盛会と自らの一族の繁栄を願っていたのかもしれません。

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